「ぼっち・ざ・ろっく!」の「ぼ喜多」に関する一考察

はじめましてこんにちは。
よく来たな。
私の名前はモサ。
しがないきらら好きだ。

今回は久しぶりに「ぼっち・ざ・ろっく!」に
ついて取り上げようと思う。
1巻収録分以降、つまり2巻収録分において、
現在、話は文化祭編に入っています。
そのお話の中で、にわかに注目を集めている
カップリングが出てきたのだ。
そう、それが「ぼっちちゃん×喜多ちゃん」の
カップリング、通称「ぼ喜多」である。

そこで今回はその「ぼ喜多」について、
私なりの考察をしてみました。
解釈については色んなご意見があると思いますので
あくまで一考察として見ていただけたら幸いです。

*注意!
この記事は「ぼっち・ざ・ろっく!」の
2巻収録分の範囲のネタバレを含みます。
単行本派でネタバレが嫌な人は、
さっさと立ち去れい、立ち去れい。

①ぼ喜多の軌跡〜出会いから2ndLiveまで〜

それではまず、これまでのぼ喜多の軌跡を
振り返ってみよう。
まずは1巻収録分まで。

f:id:mosa0019:20190624192554j:plain
ぼっちちゃん→喜多ちゃんのファーストコンタクト
第一印象は「あっかわいい・・・!」。
その後、あまりにも自分との違いに
アイデンティティが崩壊するぼっちちゃんでした。

f:id:mosa0019:20190624192915j:plain
喜多ちゃん→ぼっちちゃんのファーストコンタクト
(正確にはファーストではないが)
喜多ちゃんはぼっちちゃんのギターに一瞬で虜に
なりました。

f:id:mosa0019:20190624193204j:plain
陽キャオーラを振り撒く喜多ちゃんに対し、
それを直視出来ないぼっちちゃん。
喜多ちゃんは罪な女です。

f:id:mosa0019:20190624193405j:plain
ぼっちちゃんにギターの先生になってくれるように
頼む喜多ちゃん。
喜多ちゃんの中にあるギターへの未練が、
ぼっちちゃんとの繋がりを生みました。

f:id:mosa0019:20190624193623j:plain
喜多ちゃんの手を見てかなりギターの練習を
していることを察したぼっちちゃん。
そんな喜多ちゃんを改めてぼっちちゃんは
バンドに誘う。
喜多ちゃんの本気を見たからこそ、
ぼっちちゃんも体を張って引き止めたのだ。

f:id:mosa0019:20190624194232j:plain
ぼっちちゃんとの練習を開始した喜多ちゃん。
しかし最初は中々上手くいかないようで・・・
それでも根気強く付き合ってくれている
ぼっちちゃん、案外面倒見が良い?

f:id:mosa0019:20190624194528j:plain
新曲の作詞を任されたぼっちちゃんに
無邪気に期待する喜多ちゃん。
おかげで調子に乗ったぼっちちゃんはこの後苦労
するのですが・・・

f:id:mosa0019:20190624194806j:plain
ぼっちちゃんの喜多ちゃんに対する評価が見られる
メモ。「明るい」「優しい」「可愛い」と、
非の打ち所がありません。
この後ぼっちちゃんは喜多ちゃんになりきろうと
しますが、全く上手くいかないのでした。

1巻収録分は以上です。
「ギター(音楽)に関しては全幅の信頼を寄せている
喜多ちゃん」
「ギター以外に関しては全く自分とは違うキャラ
だと感じているぼっちちゃん」
という二人の微妙にハマっているとも
スレ違っているとも言えない関係が見てとれますね

②ぼ喜多の軌跡〜文化祭編〜

続いて2巻収録分もいってみよう。

f:id:mosa0019:20190626195322j:plain
夏休みに誰にも遊びに誘われなかった
ぼっちちゃん。しかしそれは喜多ちゃんなりに
配慮した結果でもありました。
段々と喜多ちゃんもぼっちちゃんのことを理解
し始めていることが分かります。

f:id:mosa0019:20190626195518j:plain
学校でのぼっちちゃんを語る喜多ちゃん。
クラスが違うのによくぼっちちゃんのことを
見ています。

f:id:mosa0019:20190626195852j:plain
自分を遊びに連れ出してくれた喜多ちゃんに
感謝を伝えるぼっちちゃん。
ぼっちちゃんも仲間が出来て少しずつ
変わってきたようです。

f:id:mosa0019:20190626220808j:plain
文化祭のステージへの出場を申し込みにいったが、
そこで倒れてしまったぼっちちゃん。
(どんな状況だよ)
その紙を拾って自分も出たいことを伝える
喜多ちゃん。
喜多ちゃんの押しの強さが事態を動かします。

f:id:mosa0019:20190626221228j:plain
ステージに上がってチヤホヤされたい、
でも怖い・・・!
そんな揺れ動くぼっちちゃんの心情を、
喜多ちゃんは静かに見守ります。

f:id:mosa0019:20190626221410j:plain
ぼっちちゃんが捨てた申込用紙を、
拾って勝手に出してしまった喜多ちゃん。
誰よりもぼっちちゃんの凄さを知っているからこそ
ぼっちちゃんには頑張ってほしいと思っている
喜多ちゃんなのだった。

f:id:mosa0019:20190626221643j:plain
ぼっちちゃんのテスト勉強に付きっきりだったため
自分の成績は下がってしまった喜多ちゃん。
それでもぼっちちゃんは赤点ギリギリ・・・
一応、喜多ちゃんの熱意は実を結んだと言えます。

f:id:mosa0019:20190626221922j:plain
ぼっちちゃんが捨てた申込用紙をわざと出したこと
を告白する喜多ちゃん。
文化祭でギターソロを追加することとなり、
プレッシャーを感じているだろうぼっちちゃんを
少しでも和らげようとしてのことだったが、
結果的にぼっちちゃんには感謝されるのだった。

f:id:mosa0019:20190626222331j:plain
昔だったらプレッシャーからは逃げていた
ぼっちちゃん。
でも今はそれを楽しみに感じている自分もいる。
そんなぼっちちゃんの変化を身近にいる喜多ちゃん
も感じ取っていたのだ。

f:id:mosa0019:20190626222551j:plain
ぼっちちゃんと一緒にいる時間が長いことで、
遂に生態にまで詳しくなった喜多博士。
その予想はズバリと当たりました。

f:id:mosa0019:20190626222728j:plain
ぼっちちゃんが凄いことを信じて疑わない
喜多ちゃん。
そんなぼっちちゃんの凄いところをみんなに
見てもらいたくて仕方がないのだ。

以上です。
本当は最新話(20話)からもチョイスしたかった
ところですが、流石にそれはネタバレが
酷すぎるので止めました。
(まぁこの後で少し触れるんですが)
まずは自分の目で確かめてみてください。

③ぼ喜多とは?

それでは本題に入りましょう。
「ぼ喜多」とは、一体どんなカップリング
なのでしょうか?

私が考えるに、「ぼ喜多」とは、
「顔の良い女が、ギターしか取り柄のない女に
惚れ込み、自分も同じ場所に立ちたいと
もがきながら、そんな相手の凄さをみんなに
知ってもらいたいと願い、
相手もそれに必死で応えるカップリング」
です。

長いわ!

顔の良い女こと、喜多ちゃんはぼっちちゃんの
ことが大好きです。
何故でしょうか?
喜多ちゃんは多くのものを持っています。
顔、人望、身体能力、歌唱力・・・
そんな喜多ちゃんが唯一といっても良いくらい
持っていなかったもの、それがギターの腕前
だったのです。
そんな時に喜多ちゃんの目の前に現れたのが、
ギターだけは上手いぼっちちゃんでした。
ギターへの未練を捨てきれていなかった喜多ちゃん
は、その腕前に惚れ込みます。
そして懸命にギターを練習し、
遂にその腕前はぼっちちゃんに認められるくらいに
上達します。
でも、それで終わりではありません。
ぼっちちゃんと長く一緒に過ごしていく中で、
喜多ちゃんはぼっちちゃんのギターの凄さに
改めて気がつきます。
そんなぼっちちゃんの凄さを、自分だけではなく、
もっと色んな人に知ってほしいと思います。
何故でしょうか?
私は喜多ちゃん→ぼっちちゃんへの感情は、
ピュアな友情だと受けとりました。
性愛的な感情はむしろ喜多ちゃん→山田の方ですね
喜多ちゃんから見て、ぼっちちゃんは、
同性の誇れる友人で、まるで自分の事のように
友人を認めてほしいと感じているように見られます
最新話の最後に、喜多ちゃんは今までの
「後藤さん」呼びから「ひとりちゃん」呼びに
変化しました。
それはまるで、一人の「友人」から、
かけがえのない「戦友」になったように感じました
そう、喜多ちゃんにとってぼっちちゃんとは、
結束バンドの仲間であり、
ギターの師匠でもあり、
共に支えあう戦友なのです。

私はこの関係を、果たして「百合」と呼んで
良いものか悩みました。
(百合の定義自体がそれほどハッキリしている
訳ではないので、女性同士の関係のあれやこれや
を何でもかんでも百合にしてよいものかと)
ただ、女性同士の友情も含めて百合と呼ぶのなら、
この関係はまさしく百合だ、と言えます。

他方、ぼっちちゃんから見た喜多ちゃんは
どう映っているのでしょうか。
ぼっちちゃんの取り柄はギターだけ、
それ以外は何をやっても駄目駄目な人生でした。
そんなぼっちちゃんの目の前に現れたのが、
完璧陽キャ人の喜多ちゃんです。
(完璧陽キャ人とは)
最初はアイデンティティが崩壊しかけた
ぼっちちゃんですが、
喜多ちゃんがギターが弾けないことが分かり、
何とかアイデンティティを取り戻します。
何やかんやでギターの先生になり、
案外面倒見良く教え続けられたのは、
得意なギターの事で頼られるのが嬉しかったのも
あるのではないでしょうか。
そして話は文化祭、
一度は諦めたステージですが、
喜多ちゃんによって出場が決まります。
決まった時は寝込んでしまうほどショックを
受けたぼっちちゃんでしたが、
廣井さんのライブを見たり練習を重ねることで
段々と楽しみになってきました。
ぼっちちゃんにとって喜多ちゃんとは、
辛い時にそっと、いや時には強引に背中を
押してくれる存在なのかもしれません。
そして文化祭ステージ当日、
楽器トラブルでパニックになりかけたぼっちちゃん
を喜多ちゃんがアドリブでフォローします。
「皆に見せてよ 本当は・・・
後藤さんは凄くかっこいいんだってところ!」
そしてぼっちちゃんは咄嗟にボトルネック奏法で
危機を脱します。
自分一人で弾いていた時には絶対に味わえなかった
「覚悟」を、2ndLiveの時もそうでしたが、
歯を食い縛ってでもギターを弾く「覚悟」を
見せてくれました。
それはきっと、喜多ちゃんをはじめとする仲間たち
を最高のバンドにしたい、という想いが
あったからこそでしょう。
恐らく、ぼっちちゃんは今まであまり友達が
いなかったものと推察されます。
そのせいで、多分他人との距離感に悩んでいる
部分もあるのでしょう。
喜多ちゃんに「ひとりちゃん」呼びされた時も
「えっ」「えっ」「えっ」とかなり困惑している
様子でした。
ぼっちちゃんにとって喜多ちゃんは仲間では
あるけれど、まだ上手く喜多ちゃんの気持ちに
向き合うことが出来ていないのかもしれません。

こんなぼっちちゃん→喜多ちゃんの関係も「百合」
と呼んでいいのでしょうか。
うーん、まぁいいんじゃないでしょうか(適当)。
ぼっちちゃん、まずは友達から始めましょう。

④最後に

今回は何だかまとまりのない長文になってしまい
申し訳ありませんでした。
オタクが興奮して早口で喋ってると思って
軽く聞き流して頂けたらと思います。

それではまたどこかで会う日まで。
さようなら。