「ぼっち・ざ・ろっく!」の「ぼ喜多」に関する一考察(その2)

はじめましてこんにちは。
よく来たな。
私の名前はモサ。
しがないきらら好きだ。

どうも、ぼ喜多の生態に詳しいモサ博士です。
冗談です。
私が前回ぼ喜多に関する怪文書をブログに
書いてから約一年が経ちました。
その後もぼ喜多は関係を育み続け、
最新話ではなんとぼっちちゃんの家にお泊まりする
というイベントが起きました。
ヒュー!
こいつは我慢できねぇぜ!
という訳で再び筆を取ることになりました。
今回は「ぼ喜多」に関する考察の第2弾です。
また念のため言っておきますが、
これはあくまで私個人の一考察なので、
解釈違いに関してはご了承下さい。

それでは行ってみましょう。

①これまでのぼ喜多
まずは文化祭ライブ以降のぼ喜多を振り返って
みましょう。
決して私が忘れたとかじゃないですよ、ええ。

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ギターの模様にぼっちちゃんの面影を見る
喜多ちゃん。
ちなみに文化祭以降、喜多ちゃん→ぼっちちゃんの
呼び方は「ひとりちゃん」になりました。
(ぼっちちゃん→喜多ちゃんは「喜多ちゃん」)

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喜多ちゃんと腹話術をするぼっちちゃん。
知らない人の前ではぼっちちゃんは喜多ちゃんに
介護状態です。

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ぽいずん♥️やみにぼっちちゃんがカリスマと
紹介されてこの一言。
確かに普段はそんなオーラありません。

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ぼっちちゃんがギターヒーローと分かって
この一言。
ぼっちちゃんのギターの腕前は認めるところです。

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ギターを壊すじゃんけんをする二人。
二人は仲良し。

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喜多ちゃんと初詣に行ったりカラオケに行ったりと
割と頻繁に遊ぶようになったぼっちちゃん。
ちなみにこの回、ぼっちちゃんがバグってるのか
喜多ちゃんの呼び方が「喜多さん」になってます。
コミックスでは修正されるかな?

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ぼっちちゃんの顔面にときめく喜多ちゃん。
喜多ちゃんが面食いであることが明らかに
なりました。
ぼっちちゃん、普通にしてればイケメンだな・・・

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無自覚にぼっちちゃんを傷付ける喜多ちゃん。
陽キャ陰キャの溝はやはり深い。

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喜多ちゃんの必要性を訴えるぼっちちゃん。
ぼっちちゃんにとって喜多ちゃんはやはり
大切な仲間です。

本当は最新話からも引用したかったところですが、
流石にそれはネタバレが過ぎるので止めました。
雑誌を買って確認しましょう。

②ぼ喜多とは?(その2)
それでは本題です。
ぼ喜多とはどんなカップリングなのでしょうか?

私が考えるに、ぼ喜多とは、
陰キャのぼっちちゃん、陽キャの喜多ちゃん
という、全くの正反対の二人だが、
ときには認めあい、
ときにはすれ違い、
それでも『音楽』という唯一の共通項で繋がった
かけがえのない仲間である」
です。

長いね!

ぼっちちゃんにとって喜多ちゃんはどんな存在
なのでしょうか。
ぼっちちゃんにとって喜多ちゃんは、
「友達」であり、
同じバンドメンバーの「仲間」です。
割と単純ですね。
こう書いてしまうとあまり大したことが
ないように見えてしまいますが、
実はこれは大変なことなのです。
ご存知の通り、ぼっちちゃんは中学時代まで
友達はほとんどいませんでした。
勿論、バンドを組むなんて夢のまた夢です。
そんなぼっちちゃんが高校に入り、
結束バンドの虹夏ちゃん、山田、
そして喜多ちゃんと出会います。
最初はまともに話すことも難しかったぼっちちゃん
ですが、今では一緒に遊びに行ったり、
打ち上げに参加するまでに仲良くなりました。
そんな結束バンドの面々とぼっちちゃんですが、
特に喜多ちゃんとはどうでしょうか。
誰とでもフレンドリーな虹夏ちゃん、
マイペースな山田と比べて、
喜多ちゃんは陽キャのオーラがビンビンです。
大分仲良くなったとはいえ、
まだまだちょっと気後れするところがあるようです
それでも、ギターの腕前だったり、
歌唱力だったり、認めるところは認めています。
というか、流石にギターの腕前だけは自分の方が
上だと思ってるでしょうが、
それ以外は全く敵わないと思っているのでは
ないでしょうか。
「友達」であり「仲間」だとは思ってるけど、
何を考えてるのかはまだよく分からない・・・
そんな感じではないでしょうか。
本当に、喜多ちゃんがギターをやっていなかったら
恐らく全く接点の無い二人です。
そんな二人が縁あって同じバンドでギターを
弾いている、巡り合わせの不思議です。
虹夏ちゃんと山田は一個上ですので、
喜多ちゃんは初めての同い年の友達なのかも
しれませんね。
ちなみに、ぼっちちゃんの恋愛観的に喜多ちゃんは
どうなのでしょうか。
多分、恐らく、ぼっちちゃんはノンケです。
喜多ちゃんのことは可愛いとは思っていますが、
あまりどうこうしたいとは思ってはいないのでは
ないのでしょうか。
(どうこうって何だよ)
(そりゃお前・・・アレだよ)
これはそもそも、ぼっちちゃんは仲の良い友達が
いなかったため、行きすぎた友情とか、
過剰なスキンシップとか、
そういうのとは無縁の生活だったため、
恋愛観がまだ幼いのかもしれません。
仕方の無いことですね。
喜多ちゃんは苦労しそうだぜ・・・

では逆に、喜多ちゃんにとってぼっちちゃんは
どんな存在なのでしょうか。
喜多ちゃんにとってぼっちちゃんは、
「師匠」であり「戦友」であり「憧れ」です。
複雑ですね。
一つずつ紐解いていきましょう。
まず「師匠」について、
喜多ちゃんのギターの師匠はぼっちちゃんです。
最初はからっきしだった喜多ちゃんの
ギターの腕前も、今では大分マシになりました。
それもこれもぼっちちゃんの根気強い指導の
おかげです。
まぁ、一部は山田のおかげでもありますが・・・
最近はあまり描写はありませんが、
まだギターを習ってるのではないでしょうか。
思えば喜多ちゃんとぼっちちゃんの出会いも
ギターがあってこそでした。
ギターは二人にとって強く、太い繋がり
なのかもしれません。
次に「戦友」についてです。
文化祭ライブ以降、喜多ちゃん→ぼっちちゃんの
呼び方は「後藤さん」から「ひとりちゃん」に
なりました。
距離がグッと近づいたのが分かりますね。
文化祭ライブを経て、
ぼっちちゃんは同じバンドのメンバーとして
背中を預けられる、そんな関係にもなってきた
のではないでしょうか。
もっと皆にぼっちちゃんの凄さを知ってもらいたい
そんな思いが回り回って喜多ちゃんを
強くしました。
最後に「憧れ」についてです。
上でも書いた通り、喜多ちゃんはぼっちちゃんから
見たらギター以外は完璧な人間です。
いや、ぼっちちゃん以外からも、
喜多ちゃんは優秀な人間と見られている
ことでしょう。
しかし、喜多ちゃん自身はそうは思っていません
でした。
確かに喜多ちゃんは可愛く、スポーツ万能で、
友達も多く、勉強も出来、歌も上手いという、
中々他にはいない美少女です。
しかし、それはあくまで周りの平凡な人間と
比べてのことでした。
特に歌に関しては、バンドを組んで広い世界の
人々と比べられた時、
あまりにも自分のちっぽけさに愕然としたのでは
ないでしょうか。
平均以上はあるが、突出したものがなく、
このまま平凡な人生を歩んでいくのか、
そう考えたのかもしれません。
そこでぼっちちゃんです。
ぼっちちゃんは端から見たら欠点だらけの
人間です。
しかし、ギターの腕前だけは超一流です。
プロ並みです。
そんなロックな生き方なぼっちちゃんに、
喜多ちゃんは憧れを抱きます。
平凡な自分とは何て違うのだろう。
自分もこんな生き方をしてみたい。
そんな「憧れ」です。
音楽は、喜多ちゃんにとって、
平凡な自分を変えてくれる、
そう期待させてくれる手段でもあったのです。
ちなみに、喜多ちゃんの恋愛観的にぼっちちゃんは
どうなのでしょうか。
喜多ちゃんは若干、レズの気があります。
まず最初に山田に惚れてたりしましたね。
その後、ぼっちちゃんのイケメン顔にときめいたり
もしていました。
どうも喜多ちゃんは男前な女子が好みのようです。
つまり喜多ちゃんはネコ(断言)。
心のどこかで喜多ちゃんは山田やぼっちちゃんに
抱かれることを夢見てるのかもしれませんね。
(本当に何言ってるんだ)
(何言ってるんだろうな、私・・・)

③おわりに
いかがだったでしょうか。
また少し、ぼ喜多に関する思索が深まったのでは
ないでしょうか。
ぼっち・ざ・ろっく!の原作はまだまだ
続きます。
これからもぼ喜多の関係には目が離せませんね。

それでは、またどこかで会う日まで。
さようなら。