「青春コンプレックス」の歌詞のここ好きポイント5つ

はじめましてこんにちは。

よく来たな。

私の名前はモサ。

しがないきらら好きだ。

 

先日の10/12(水)にアニメぼっち・ざ・ろっく!のOP曲「青春コンプレックス」が発売になりました。多分まだAmazonで買えると思うので買ってない人は買ってください。

 

 

さて、今回はそんな青春コンプレックスの歌詞のここ好きポイントを紹介していきたいと思います。よろしく頼む。

なお、皆さんご存知だとは思いますが、歌詞はJASRACが厳しく管理していますので、全文転載すると飛んできて捕まります。ですので引用はあくまで一部に止めますが、もしそれでも駄目だったらこの記事はひっそりと消えると思います。裁判は勘弁な。

それでは、行ってみましょう。

 

・「嵐に怯えてるフリをして 空が割れるのを待っていたんだ」

 

まず大前提の話として、今回のOP曲は結束バンド名義であり、結束バンドの曲の歌詞は基本的にぼっちちゃんが書いています。勿論、実際にはこの曲の歌詞はリアルの人が書いている訳ですが、歌詞を見るとかなりぼっちちゃんの気持ちに寄り添って書かれているように感じます。ですので、今回はあくまでぼっちちゃんが書いているという体で話を進めていきます。

さて、上記の歌詞ですが、のっけから不穏です。これの直前には雨が降っており、かなりびしょ濡れな感じなのですが、ぼっちちゃんは怯えるフリをしながら空が割れるのを待っていたと言います。

この部分からは、現状を打開したいという強い気持ちが伝わってきます。変わりたい、でもどうしたらいいのか分からない、そんなぼっちちゃんの鬱屈とした気持ちが表れているのではないでしょうか。

 

・「光のファズで」

 

ファズ?知ってる知ってる、コミックファズのファズでしょ〜。

と思っていたのですが、ちょっと調べたらファズは普通に音楽用語でした。エフェクターのことを指し、割れた音、歪んだ音を出すようです。

さて、この歌詞のファズですが、何故ファズなのかを考えた時、綺麗な音、美しい音ではなく、一見すると醜い歪んだ音で私たちは戦っていくんだ!という気持ちを感じます。これはタイトルの青春コンプレックスにも絡んできますが、キラキラした青春なんてクソ喰らえだぜ!という反骨精神こそがロックなんだ、という思いがこのファズという短い単語には込められているのかもしれません。

 

・「明るい場所を求めていた だけど触れるのは怖かった」

 

これは時々誤解されているのですが、ぼっちちゃんは陰で闇の者ですが、人生における光の部分に対する憧れは人一倍あります。あいつ普通にモテモテになってチヤホヤされてぇ〜、っていつも思ってますからね。

さて、そんなぼっちちゃんですが、いかんせん今まで闇の中で生きてきたので明るい場所は眩しすぎます。だけどそれでも光を求めることは止められません。そんな矛盾を抱える自己の気持ちを表しているのではないでしょうか。

憧れは止められねぇんだ……!(違う作品です)

 

・「深く潜るのが好きだった 海の底にも月があった」

 

この部分からは、海の底という誰もいない場所にも輝けるものがあった、ということを表していると思います。

一つ上で書いた通り、ぼっちちゃんは光に焦がれながらもそこには辿り着けなかった訳ですが、辿り着いた全く正反対の暗い海の底にも自分の求めるものがあった、という心境が表れているのかもしれません。

あと、もう一つ思うのが、太陽ではなく月なんですよね。そんなに明るくない月の、更に恐らく海底の薄明るく映った月の光を愛おしく思っている、そんな切なさも感じます。

 

・「猫背のまま 虎になりたいから」

 

この前Twitterで冗談半分で「ぼっち・ざ・ろっく!は多様性の物語だ」と言ったんですが、この部分はまさにそれです。今は俯いて猫背だけど、いつか猫じゃなくて虎になってやるんだ、という熱い情熱が感じられると思います。

少し話は逸れますが、現代日本ではレールに乗って人生を歩んでいくのが最良であり、一度レールから外れてしまうと再びレールに戻ることは難しい、みたいなことがバブル崩壊後くらいから何となく言われていることだと思います。その是非はともかく、実際にそれを覆すのはよっぽど才能のある人しか出来ない、というのは一定の年代以上の人は肌感覚としてあるのではないでしょうか。

さて、ぼっちちゃんこと後藤ひとりですが、学業も運動も才能が無く、取り柄は本当に音楽だけです。音楽は特に才能ある人の中でも更にほんの一部の人しか成功出来ない分野だと思いますが、それ故に普通の人が「ちょっと音楽で飯食っていくか」とは絶対になりません。

ぼっちちゃんは陰キャで変わり者です。でも、それでいいのです。そんなぼっちちゃんが音楽で一旗上げてもいいのではないでしょうか。多様性とはぼっちちゃんのような変人を認めることなのです。いつか虎になる猫が、そこに眠っているのかもしれないのですから。

 

以上です。

いかがだったでしょうか?

今回は初めての試みでしたが、とにかく記事のクオリティよりもJASRACが怖い!絶対に捕まりたくない!そんな気持ちで書いていました。あんまりこういう記事見ねぇはずだわ。

 

それでは、またどこかで会う日まで。

さようなら。