違和感

はじめましてこんにちは。

よく来たな。

私の名前はモサ。

しがないきらら好きだ。

 

今回はきららに関係あるようであんまりない話ですが、何か最近Xに書き込む気が全く起きなくなってきてるのでこっちに書きます。別に大したことではないです。

先日、以下のようなネットニュースを目にしました。

 

 

ざっくり内容を説明すると、現在放送中の朝ドラの脚本家である吉田さんが、過去にぼっち・ざ・ろっく!のアニメのシリーズ構成と脚本もやっていたことをXで触れて、それにみんなビックリした、という下らない内容です。別にネットニュースが下らないのは今に始まったことではないのでどうでもいいのですが、私が気になったのはそこではありません。それは、タイトルに「明かして」と書かれていることです。

「明かす」とは、「明らかにする、隠していたことを明るみに出す」という意味であり、秘密にしていたことを公表するというニュアンスがあります。さて、ここでぼっち・ざ・ろっく!に詳しい人ならご存知でしょうが、ぼっち・ざ・ろっく!のアニメのシリーズ構成と脚本が吉田さんであることは秘密でも何でもありません。オープニングやエンディングにはバッチリクレジットされていますし、何なら公式HPやWikipediaで調べればすぐに辿り着く話です。当然、吉田さん自身もその事を秘密にしている様子は一切ありません。

では、何故この記事は「明かして」なんて表現を使ったのでしょうか。これは半分推測ですが、朝ドラの視聴者とアニメの視聴者はあまり被っていません。恐らく、この記事を書いた人も朝ドラには詳しくてもアニメには詳しくなかったのでしょう。一応、ぼっち・ざ・ろっく!というアニメは数年前に大ヒットしたらしい、という知識はあったかもしれませんが、それが現行の朝ドラの脚本家と同じ人なのはみんな知らないだろう、と思ったのかもしれません。しょうがないですね、知らなかったのなら仕方ありません。

いや、しょうがなくないんですよ、仕方なくないんですよ、仕方なかったら私はこんな文章を書いてないんですよ。

「公知」という概念があります。「広く知られている」という意味ですが、もっと分かりやすく言うと「誰でもアクセスできる状態で公開されている情報」となります。ここでの誰でもアクセスできる状態とは「書籍で出版する、インターネットで公開する、学会で発表する」などが当たります。勿論、いくら理論的には可能と言っても、一人の人間があらゆる書籍やあらゆるインターネットの情報を網羅するのは現実的には不可能です。しかし、じゃあどこまでなら把握できるんだとか、俺とお前では知ってる範囲が違うぞとか言い出したらキリがないので、まとめて「公知の情報はみんな知ってるものとする」となっているのです。これは特許の新規性を判断する時によく問題になり、例えばAさんが新発明をして特許を出そうとした時、実は数年前にBさんが同じ発明をして既に論文発表や特許出願をしていた、なんてことはよくあります。この時、AさんがBさんの発明を本当に知らなかった、という場合も勿論あるのですが、知らなかったならしょうがないね、じゃあAさんにも特許上げようね、とは絶対になりません。そんなことをしたら特許取り放題で権利がぶつかりまくって大変なことになります。そうならないように「公知」という概念で、既に発表されてることは知らない方が悪いよ、となっているのです。

さて、話をネットニュースの件に戻します。今回の件は、確かに多くの人にとっては知らないことだったのかもしれません。でも、だからといってそれを「秘密にされていたこと」と取られるようなニュアンスを付け加えることは、私は非常に傲慢だと思うのです。

世間に溢れる情報には、現実問題としてその重みに違いがあります。100人中99人が知っている情報もあれば、100人中1人しか知らない情報もあるでしょう。その2つを全く同じように取り扱うのはそれはそれでどうかと思いますが、じゃあマイナーな情報は軽んじてもよいかというと、それは多数派の驕りだと思うのです。誰だって知らないことはあります、人は万能ではないのですから。しかし、少し調べれば分かる、又は知る機会や手段が現実的に存在している情報に対して、「そんなものは知らない」という態度を取るのは、少なくとも情報を発信する立場の人間がするべきではないと思うのです。もし仮に、「ガッツ石松、実は元プロボクサーだった!」とか、「庵野監督、実はエヴァンゲリオンの監督だった!」とか本気で言っている人がいたら、本当に知らなかったとしても「何でそんなことも知らねぇんだよ馬鹿!」となるでしょう。もしかしたら本当に何も知らない人が見たら「これって秘密のことだったんだ!」と勘違いしてしまうかもしれません。ネットニュースやまとめサイトのタイトルなんて誇張されるのが普通ではありますが、それでも、嘘をつく、事実を捻じ曲げる、わざと誤解させるような記述は厳しく批判されるべきだと思います。

とはいえ、現代は情報が氾濫する時代。我々は情報の真偽を見極めるのと同時に、その情報が置かれているポジションもしっかりと把握しておかないといけないのかもしれませんね。

 

以上です。

いかがだったでしょうか?

いくら丁寧な罵倒でも、あんまりおおっぴらにはしない方がいいかなという訳でこの形です。まぁこんな記事ほとんど誰も読まんやろハッハッハッ。

 

それでは、またどこかで会う日まで。

さようなら。