ぼっち・ざ・ろっく!のアニメが遺したもの

はじめましてこんにちは。

よく来たな。

私の名前はモサ。

しがないきらら好きだ。

 

ぼっち・ざ・ろっく!のアニメ12話が無事に放送終了しました。そこでこの記事ではアニメの総括をしたいと思います。よろしく頼む。

 

 

 

それでは、行ってみましょう。

 

○音楽

ぼっち・ざ・ろっく!のアニメを語る上で真っ先に避けて通れないのはやはり音楽についてでしょう。OPとEDで合わせて5曲、劇中曲はSICK HACKの曲も合わせて5曲、更にそれ以外にも+αで楽曲が作られており12/28に発売された結束バンドのアルバムは全14曲入りです(SICK HACKの曲は円盤特典)。

私はアルバムを聴けるのは年明けになってからなので楽曲についての全体的な印象をここで述べることは出来ないのですが、一つ言えることは「十分なお金と人材と期間を準備して作られた約束された成功だった」ということです。決して偶然やラッキーパンチではないのです。

今回の結束バンドの楽曲には作詞作曲編曲に著名な人材が集まりました。更に特筆すべきは、それらのきら星のようなアーティストたちがちゃんとぼっち・ざ・ろっく!という作品と結束バンドというキャラクターに寄り添って仕事をしていた点です。勿論、各アーティストの仕事ぶりも素晴らしいのですが、それらの人材の仕事を調整してディレクションした目に見えない人たちの仕事も決して見逃すことは出来ません。

当たり前ですが、ぼっち・ざ・ろっく!は音楽がメインテーマの作品です。そのメインテーマをしっかりと視聴者に伝えるために万全の準備をしてアニメは作られました。もしかしたらこれが一番基礎となり、そして一番大事なことだったのかもしれません。

 

○実写

ぼっち・ざ・ろっく!のアニメの演出を語ろうとした時に、これも避けて通れないのが「実写の演出」でしょう。まずは思い付くだけ挙げてみました。

・2話:青春コンプレックス

・3話:アイデンティティ崩壊

・5話:ダム

・7話:ゾートロープ、Tシャツ

・8話:人生ゲーム

・9話:たこせん

・10話:テレビワイプ

・11話:ダーウィンが喜多

・12話:ダム

演出の意図を考えた時に、まず一つ思いつくのはやっぱり「面白いから」でしょう。そもそもアニメの中に実写が混じるのって、1回くらいならまぁなくもないですが、全編通してこれだけねじ込まれているのはそんなに無い気がします。というかアニメと実写は作り方が全然違いますから普通はこんなに入れようとは思わないですよね。結果として実写部分は演出のアクセントとなり、原作にはない面白さが生まれることとなりました。

もう一つは「リアリティラインの誘導」です。これは割と適当に言葉を選んでいるので適切かどうかは分かりませんが、要するにアニメ作品でありながら現実的な側面を持たせているということになります。当たり前ですがアニメはアニメであり創作なのですが、ぼっち・ざ・ろっく!という作品自体はそれほどファンタジー要素があるわけでもなく現実的な作品です(ぼっちちゃんの存在自体は割とファンタジーであるという話は置いておく)。そんな作品ですので、現実的でない突飛なことが起こることを楽しむというよりも、どこか身近にありそうな現実的なあるあるを楽しむ、ということを目指してこの実写の演出は取り入れられたのかもしれません。製作側の真意は分かりませんが、私はそう受け取りました。

 

○縦軸と成長

アニメ12話を通して振り返った時に、印象としては原作の要素を丁寧に拾いつつアニメ作品として非常に完成度が高かったということがあります。その要因の一つは「ぼっちちゃんの成長」という明確な縦軸が最後までブレなかったというのが大きかったと思います。

ぼっちちゃんは1話の時点ではギターヒーローとして動画サイトでは大人気ですが、現実では友達もおらずバンドを組むことも出来ない、他の人と演奏を合わせることも出来ないという駄目駄目な状態でした。それが5話ではオーディションでしっかりとバンドのギタリストとしての成長を見せ、8話ではライブ中に動揺するメンバーを自分のギターソロで鼓舞し、12話ではトラブルに見舞われながら咄嗟の機転で切り抜けるなど、様々な経験を経て人間としてもギタリストとしても成長していきました。

勿論、ぼっちちゃんには変わらない部分も沢山あります。基本ネガティブな癖に妄想癖があるところとか、初対面の人とは上手く話せないとか、この辺りは1話をでも12話でも変わらない部分です。逆に言えば、ぼっちちゃんの変わった部分、変わらなかった部分をこの作品は非常に大切にしていたと言えます。

これは漫画とアニメというメディアの違いの話になりますが、漫画は1巻1巻の区切りがあるとはいえ、多くの作品は週刊だったり月刊だったりでお話が継続的に続いていくことになります。一方、アニメは一部の長期クールアニメを除けば現在は1クールや2クールといった短期のアニメがほとんどです。続編が作られることもありますがその場合も1年とか2年とか間が空きます。ですのでアニメの場合はより一つのパッケージとしての完成度が求められると思います。そんなことをぼっち・ざ・ろっく!のアニメを観て思いました。

 

○改変、再構成

私のアニメ各話の感想を見て頂けたら分かると思いますが、私は原作の漫画とアニメの違いが非常に気になります。そんな私が挙げる二つのキーワードが「改変」と「再構成」です。

改変については、特徴的なのはアニメオリジナルの台詞を大胆に取り入れていることです。具体的には2話の「また明日」と12話の「今日もバイトかぁ」ですね。どちらもその話の締めとなっているような台詞です。まず2話については、バイトを始めたぼっちちゃんが1日を終えて店を出た時に言った台詞です。12話については、朝学校に向かって歩いている時に発した台詞です。どちらもぼっちちゃんが一歩前に踏み出したことを象徴するような台詞ですね。これらの台詞を入れることで、上に挙げたぼっちちゃんの成長という要素を強く補強していると言えます。これは原作をとてもよく理解していないと出来ないことですね。感服です。

再構成については、これは4話が顕著です。詳しくは4話の感想の記事をチェックしてほしいですが、原作の2つのエピソードを無理なくアニメの1話にまとめ、必要とあらばオリジナルのエピソードを入れることで潤滑油とするなど、非常に巧みに再構成されていました。

脚本は全12話をシリーズ構成の吉田さんが全て担当されていますが、全編を通して作品への理解度の高さに驚かされるばかりでした。経歴を見るとアニメ以外での仕事も活発な方であり、今後も要注目な脚本家ですね。

 

○ギャグ

やっばり!最後は!これ!

ぼっち・ざ・ろっく!はアニメでギャグのキレがとても良かったです。元々漫画の方も作者の前作からギャグの勢いが上がったなぁと思っていたのですが、アニメではそれが更にブーストされました。

具体的に思い付いたものを挙げていくと、1話の完!、4話のバグるぼっちちゃん、7話の消滅するぼっちちゃん、9話のヤムチャ、11話のダーウィンが喜多、などなどですね。漫画は基本的に絵だけの勝負ですが、アニメではそれに音や動きが加わります。アニメはアニメならではの特長を活かし、原作の何気ないギャグも非常に印象深くなっていましたね。

素晴らしい音楽、破綻の無いストーリーというのも勿論大切ですが、こういったギャグも作品の雰囲気を明るくしてくれる大切な要素ですね。

 

以上です。

いかがだったでしょうか?

非常の出来の良いアニメに対しては、それに関して正当な評価がされることが重要だと考えています。この記事は現在リアタイでこの作品に触れている人はともかく、後年初めてこの作品に触れた人が当時の雰囲気を感じ取って貰えれば幸いです。

 

それでは、またどこかで会う日まで。

さようなら。